2009-01-01から1年間の記事一覧
高見の見物でしか幸せを感じられない人は、幸せの巾を少しせばめている。
小説は、頁を開く旅だ。 行き先はまだ知らない。
どんなに細い道でも道には「生」の気配がする。 だから歩ける。
一日の陽は、空を山を押しよけるように沈んでいき、 やがて確実に気配すら消す。 まるで人の一生のように。
せっかくしたのに、こんなにしたのに、の 「せっかく」と「こんなに」を取っ払う。 己の事実を見るとはそういう事かもしれない。
「考える」は、ビュンッと伸びたり微動だにしなかったり、中々に我儘だ。 その我儘ぶりを味わいたい。
「どう生きる」かが、「どう暮らす」からブワッと浮く時がある。 まるで、火傷の水膨れみたいに。
甘えさせて貰っていたのだと気づく時、 体の何処かがカタンと鳴る気がする。 それは大人になる音の気がする。
顔は笑っているのに涙目の人は、夜を待ちわびる。 闇で涙は光らないから、安心して零すために。
昔の小さい私が見つかっても、ヨシヨシと撫ではしない。 君も歩けと言うだけだ。今度はその手を離さないから。
この頃、振り切ったり置き去りにした何人もの小さい私を回収に回っているような気がする。棄ておいてはいけない気がして。
人は皆、自分色の虹を持っている。
易しい言葉にも魔法のような効力は宿る。
日常の中で、一瞬息を止める事がある。 あの瞬間は、無意識でも死んだ気になってやろうとしたのだ。
眠りにつく時は、夜に抱かれる時だ。 夜は優しい。
お尻を暖めると落着く。とても。
女子高生の唇は、お喋りの合間にリップクリームで光り弾む。
陽だまりに居ると、心が温泉に浸かっているみたいだ。
足元から垂直に伸びる影は、太陽の場所を教え続けてくれている。 無言で。
ヒトは、背骨を挟んで右側と左側があるのだもの。 そりゃ心があっち行きこっち行きする時もあるさ。
楽しいという字は、日の部分がピカッと光っている。
魂が喜ぶ事は「つかみどり」コーナーには、なかった。
成就は、 「その気になりさえすれば」のその気を自分で育てた人のもとにある日、 降り注ぐ。
死に方は選べないが生き方は選べる。 つい忘れがちだが。
冬に向かうというのにチョウが飛ぶ。 その先の春こそが憧れなのだ。
人ゆえの、孤独と独りよがりの違いは、 厳しさ・優しさをたたえているか否か、かもしれない。
祭壇の写真は反則だ。 もう恨み言なんか言えないじゃないか。
雲ひとつない青空があんまり青すぎて堪らなくなる時は、 煙草の煙を上に向かって吐こうかと思う。 まやかしと解っていても、青を少しだけ曇らせてみたくなる。
指先の滲む血に思わず魅入る。 自分の気持ちをじっくり探る時になんだか、似ている。
切ないを、 これも生きる醍醐味とかに転換するなんてヤだと呟く、胸内の餓鬼